全日空 ダイヤモンドステータス到達。。
9月のニューヨーク便に乗り、全日空アプリを開いてみて今年もダイヤモンドに達したことをアプリでの通知が来ました。
今年で15年連続のダイヤモンドステータス獲得。
幼少の頃ワシントンに住んでいた関係で、全日空は深い思い出があります。
日本から最初にアメリカに行ったときは、アメリカ東海岸直行便なるものはなく、アンカレッジ経由でした。
日本旅券も当時は子供だったため母親と一緒、その当時は親子一枚の写真に収まり、一冊だった記憶があります。
父親の3年任期の赴任だったため、3年いや一時帰国があるので赴任した翌年には日本に一時帰国できるのに、アンカレッジに着陸して、免税店の横にあるうどん屋さんで最後の日本食になるかもしれないと、
よほど不安だったのでしょう、母親は涙しながら一緒に食べたのを記憶してます。
日本航空でアンカレッジ経由、ニューヨーク行き。
これが最初で最後の日本航空のフライトです。
数年後日本からアメリカ東海岸に直行便がニューヨークにデイリーに飛ぶようになり航空会社も世界中を飛び回ったPAN AMを始め、日本航空もデイリーに就航をはじめまして、その後東海岸だけで、ボストン、ニューヨーク、ワシントン、アトランタと飛ばすようになりますが、ワシントンはアトランタと同時期に直行便を飛ばすことになりました。
そこで航空会社がどこを飛ばすかで色々な話が出て、ワシントン便は最初、シカゴ経由でユナイテッド航空が飛ばし、いよいよ東京からワシントン直行便というときに、最初日本航空に決まったそうですが蓋を開けてみると日本航空はそのままニューヨークへ(その後91年にワシントンへ直行便を出したのですが数年で運休) 全日空はワシントンへと決まり、
その初便の便名今でも上り便名はNH001。
大きな日の丸が描かれた、大きな翼のジャンボジェット日本語で”全日空”と書かれた機体がワシントンダレス国際空港に着陸したときは家族総出で空港まで迎えに行き インターネットも勿論なく、国際電話も高い時代、
しかしワシントンから日本までの直行便が出てくれたお陰で、日本が本当に近くに感じたものです。
全日空は日本へ連れて行ってもらえるものだと、それ以来全日空のファンになりました。
社会人になって初めての海外出張は、今はデイリーに就航している東京ームンバイですが、当時は週3回就航の関空ームンバイ。B767 まだ機内でタバコが吸えた時代です。
初めての中国出張はB737
初めての欧州出張はあの大きく美しいB747でした
いろんな感動がありました。
自分が企画した商品が免税機内誌に掲載されたときは嬉しくて毛布を頭から被り気がつかれないように泣いてました。
冬の欧州からの帰国便、機窓から見えるオーロラも忘れられません。
米寿の祝いに祖母をハワイまで連れて行ったのも全日空。到着後機長からレイをプレゼントしていただきました。
友人がロンドンパラリンピック出場が決まり、ロンドン便、機内でもらった日の丸の旗を出場する友人に届けました
夏の夜アジア便で登山客のライトが綺麗に見える富士山の絶景も全日空の機窓から何時迄も眺めていました
いろんなトラブルもありました。
ドリームライナーで機内トラブルで引き返したこともありました。
ムンバイからの帰国便、お腹を壊し離陸直前にトイレに駆け込み離陸を遅らせてしまうという失態もやらかしました。
出張中に怪我をして車椅子で乗り込んだこともありました。
羽田と成田を間違えたのは一度だけではありません。
ユナイテッドからの乗り継ぎ帰国便でロストバゲージをしたこと。あれから10年荷物はいまだに出て来てません。
正直長時間の移動は苦痛です、、後何年続蹴られるかわかりませんが、ダイヤモンドステータス20回くらいまでは目指したいと思います。
それまで仕事が続けばいいけど。。
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